<素敵な休日>
2007年を迎えて3日目の朝の始まり。。。
こんな上等な場所で朝を迎えられるなんて、、、ここは南フランス、ニースのビーチ。。。
約30キロほど離れたところは世界でも名立たるセレブなお国、モナコ公国だ。こんなに優雅で高級な潮風が流れる場所があるなんて。
どこまでも続く海、遠くに見える地平線、なだらかな稜線の半島、優しく穏やかな潮風、柔らかな日の光、なにもかもが特別なものに感じられてしまう。
初めて訪れた気がしないのは、海からみえる景色がふるさとのそれと似ているせいなのか。この海が日本へつながっているせいなのか。。。
一歩路地を入ると市場が立っている。午前中の街の活気のなかに明るい笑顔の人々がいて、目の前に置かれたかごのなかにはニースの人々の生活が少しだけ見えて。
ここはちっとも気取った場所なんかじゃない。
太陽の光が明るく眩しい。こんな穏やかな海と明るい人々の眼差しに包まれていたら心も身体も開放的になって、市場で買い求めた食材たくさん詰め込んだバッグを肩から提げて、ビーチでランチなんていう日常があったって不思議じゃない。
今度はもっと滞在できるといいな。もちろんこのビーチを旅の目的にして。そしたらランチ片手にいつまでも目の前に広がる海を眺めるんだ。。。
<ひまわりの人>
アルルは前に訪れた場所に似ている気がした。そう、あれはたしかオランダの国。風がふきすさぶ場所。頬をなでる風の気持ちよかったこと。黄金色の麦畑がイメージできる場所。さわさわと耳に心地良い音が響き渡る場所。広い田園の中を幾筋も流れる河の清々しさ。じっと耳を澄ましていると、いつまでもこの空気に包まれていたくなるような場所。
人々が求める原風景がそこにあるような気がしてならない。
アルルの跳ね橋。ゴッホはこの場所の風景に故郷オランダを思ったという。生まれ育った場所と似ている空気感の中で彼はさぞかし落ち着いた心でカンバスに向き合ったことだろう。彼の描く絵はとても暖かい色彩を放っていると思う。暖かいというには絵の温度がいささか高すぎる感もあるから、燃えるような・・・という表現が最も近いのかもしれない。
生前中彼の絵は評価されることはなく鶏小屋の風除けなどに用いられることもあったという。いつの世も芸術が理解されるには、少々の時間とタイミング、根気とやる気が必要らしい。人々は彼の絵を理解しなかった。理解するどころか彼を狂人扱いした。だけれど彼はずっと信じるものを疑わず見失わず一途に自分の描き出す絵の世界を追い求めた。
誰からも理解されることのない孤独な中にあっても筆を動かし続けた。
ゴッホの残した作品を見る限りなんともあたたかいエネルギッシュな色使いをする画家なのかと思う。充分過ぎるほどの個性を放って強烈な世界を作り上げていると思う。
とはいえゴッホの残した絵画はすでに高く評価されるに至った現代でそれを受けとめ見つめているのであるから、世間の評価後の1個人の意見なんて単なる感想に過ぎない。
それでも彼の純粋でひたむきな絵の数々を見ていると、一生懸命一途に生きたであろう彼の姿が映って切なくて涙が出てくるようだ。
燃えるひまわり、療養所の中庭、画家仲間とイーゼルを並べた数々の思い出が宿る場所。。。今、長いときを経て世界中の人々に受け入れられ愛されるようになった自分の絵を
彼はきっと遠い天国から眺め目を細めていることだろう。。。
〜弟テオへ宛てた手紙より(抜粋)「僕は今、マルセイユの人がブイヤベースを食べているときのように張り切って大きなひまわりを描いている」 1888年夏 ゴッホ
<アルルの街>
ローヌ川のほとりに笛とタンバリンの楽隊が立ち、人々はそこで昼となく夜となくファランドール(輪になって踊るダンス)を楽しんだという美しい中世の都<アヴィニョン>。
まるでローマの街を思わせるような赤茶色の遺跡の数々と中世の街の面影を残す石畳。ゴッホの銅像や世界遺産に指定されている闘技場、人々が集まる憩いの場所、
フォーラム広場、壁に描かれた粋なだまし絵の数々。。。常に見所はいっぱいである。
アヴィニョンの街でなにより幸運だったのは訪れた時刻だったと思う。日が沈みかけた夕方から、すっかりと闇夜に変わった夜の街は、その後美しい街灯の光の力を借りて
更なる美しさを増した。昼間の明るい太陽の光よりそれははるかに中世の街をあでやかに照らした。ショウウインドウから眺めるプロバンス生まれのキッチン雑貨や布地たち。
ショウウインドウの小物たちは明るい太陽のようにキラキラと輝いている。こんな世界遺産の指定を受けた美しい町並みを
イルミネーションの輝きの中で歩くことが出来る幸せ♪そんな夜の街のこのうえない空気を肌にいっぱい感じることが出来たひと時。。。